第3回 アルフレッド・コージブスキーの逸話
第2回目の「地図」のお話はいかがでしたか?
この「地図の違い」という事実は、私の心を、急速に「自由」にしました。
私はかなりな年齢になるまで、すべての人が、同じ「価値観」「倫理観」「道徳観」で生きていると思っていたので、周囲の人間が、私の「意向」を、私が「思うように」理解し、私が「納得いく形で」表現し、私が「期待する」ように反応してくれないと、いちいちいらいらしていました。
要するに、「自分の思い通りに」行かないことが我慢できないし、理解できなかったのです。
なんて、傲慢なのかしら。。。。おほほのほ。。。。
お恥ずかしい~。
事実現実は人数分ある
実は、皆、違った見方、捉え方で、現実を認識し、個々人独自の「法律=地図」で、評価していたのですよね。
加えて、私が、唯一無二の正義だとか、事実現実だとか思っていたのは、私にとっての「正義」であり、「事実現実」だったのであります。
全員が同じではなかったわけです。
事実現実は、人数分あるということなのです。
コージブスキーの逸話
ある日コージブスキーが学生たちへの講義を突然中断し、白い紙に包まれたビスケットの包みを彼のブリーフケースから取り出した。
彼は「何か食べたかったんだ」などとぶつぶつ言い、前列に座っていた学生たちにビスケットを勧めた。
「うまいだろう」とコージブスキーは言い、2枚目を取り出した。
学生たちは、元気にビスケットを食べている。
するとコージブスキーはビスケットの包みを覆っていた白紙を取り払って本来のパッケージを見せた。
そこには、犬の絵が描いてあり、“Dog Cookies”と書かれてある。
学生たちはそれを見るとショックを受け、二人の学生が手に口をあてて、トイレに向かって走り出した。
コージブスキーは言った。
「皆さん、分かったでしょう。
これは人々が食べ物を食べるときに言葉も食べていることを示したのです。
食べ物本来の味はしばしば言葉の味に劣ります。」
彼の冗談は、現実と現実を表現する言葉との混乱や合成が人間の苦悩を生むことを示したものであろう。
※注1 アルフレッド・コージブスキー(Alfred Korzybski, 1879年7月3日 – 1950年3月1日)は、ポーランドワルシャワ生まれの学者。一般意味論の構築で有名。後にアメリカ合衆国に渡り、コネチカット州レークヴィルで死去。(ウィキペディア)
誰もが固有の地図を持っている
あなたが、譲ることの出来ない「真実」「ルール」「美学」は、いかがですか?
それは本当に、この宇宙で、誰でもが等しく大切だと思うものですか?
また、誰でもが持つ「固有の地図」は、とても大切なもの。
その「地図」から世界を見ることが、今まで必要だったのかもしれないのですから。
自分の「地図」を大切に思うように、あなたの大切な人の「地図」も自分のことのように大切に扱うことは、必要ですね。
NLPは、脳の使い方をマスターして心理学や言語学、神経生理学などの観点から望む結果を出すためのスキルです。